私とアトピー性皮膚炎との付き合いは長く、物心ついたときから皮膚科に通っていたように思います。
生まれつきアレルギー体質で、保育園や小学校で給食時に配膳されるメニューが他の子と違うことに、嫌な思いもたくさんしました。幼少期のアトピーの症状は、膝の裏や首回り、腕の内側などの炎症で
比較的軽度でした。それに加え、トビヒや水泡なんかもしょっちゅうできていました。
そして、今までの人生で2度、人前に出るのがイヤなくらいアトピーが大炎上したときがあり、それらを乗り越えてきました。1回目は中学1年生のとき。そして2回目は30歳になりたての頃です。
今思い出しても、胸が痛むし涙が溢れてきます。
いや、本当にツラかった。。
私にとっては劣等感しかない『アトピー性皮膚炎』という病気。
アトピーが発症したことで、諦めたこともたくさんありました。だからひどかった頃の体験は親しい友人にも彼氏にも誰にも話したことありませんでした。
でも、なんでこのブログにアトピーについて書こうと思ったのかと言うと、最近同世代でアトピーで苦しんでいる人の声をよく聞くようになったからです。私はお医者さんではありませんが、自分の経験や
克服方法、普段気をつけていること等をここに書くことによって、同じくアトピーでツライ思いをしている方の何かしらのヒントになってくれたらいいなと思ってます。
1回目の大炎上。中学1年で地獄を経験。
小学校6年生の後半ごろから、顔の炎症がじわりと増え始めました。
いろいろと見た目も気にする年頃だったので、それが余計にストレスでした。今思えば、この頃からアトピー大炎上に向けての兆候が出ていたのだと思います。そして中学校に入学し、アトピー大炎上。
この時から学校に行かず引きこもりに。
体全体をジュクジュクになるまで掻きむしり、掻かないように薬を塗って包帯を巻いても、包帯の上からまだ掻きむしります。お風呂に入るのがいちばんツラく、傷口からでる汁に包帯がくっついて剥がす時の痛みに「もうイヤだ」とワンワン泣きわめいて、看病してくれてた母親を苦しませてばかりいました。
◆絶望から希望へ。丹羽先生との出逢い
絶望しかない日々の中、両親が藁にもすがる思いで見つけてきてくれた高知県にある『土佐清水病院』。ここの医院長 丹羽先生との出逢いが私を絶望から救ってくれました。
早速、福岡に出張診察にきていた丹羽先生の元へ。
「なんでこんなに酷くなるまで放っておいたんや?」と叱られる母。
そして「大丈夫、治してやるからな」の言葉に安堵し泣く私。
「即入院や、そして北九州は工業地帯で空気が悪いから土佐清水で転地療養をしなさい」と言われ、高知県は土佐清水市にある『土佐清水病院』へ入院し、症状が治るまでそのまま転地療養で住むことになりました。
中学生の私を1人で行かせるわけにはいかないと、転地療養に付き添ってくれた母、そして私のために母を送り出し幼い弟と妹を地元で育てることに決めた父親の強さには感謝しかありません。
治療方法は割愛させていただきますが、2週間ほど入院し
その後、病院の近くの家に住むことになりました。
▼治療方法はコチラに詳しく載ってました!
医療法人 修命会 土佐清水病院|癌|膠原病|アトピー|高知県土佐清水市
周りを海と山に囲まれた自然溢れる空気の澄んだ土佐清水市。
地元の中学校に通いながら、病院にも通いました。
薬治療の他に、食事療法にも専念。
そして1年半後、傷跡の色素沈着は残っているものの痒みもほぼ無くなり、普通の生活を送れるようになったので地元北九州へ帰ることになりました。
この頃には、ステロイドと傷で固くなっていた肌が柔らかく普通の肌に戻っていました。アトピー肌の私にとって「普通」がどのくらい特別なことだったか。涙
2回目の大炎上。30歳になってから再発。
23歳の頃から大阪での生活を始め、7年ほど経った頃、それまでアトピーの症状は、夏など汗をかいたりしたときに首回りに出たりするぐらいのかなり軽いものだったのですが30歳になった年に突如ものすごい痒みに襲われるようになりました。酷くなり始めたらあっという間。
1ヶ月も経たないうちに顔はただれ、足や手の肌がズル剥けるほど掻くようになっていました。
こんな状況で仕事にも行けず、一旦休養させてもらうことに。
薬を塗っても症状が酷すぎて効かず、掻きむしった部分が痛くて外に出るのもツラいほど。
土佐清水病院の診療所が大阪にあったので行くと「これは即入院!」と先生に警告され、何十年ぶりかに土佐清水病院へ入院することになりました。
入院期間は2週間。
今までの自分を反省する日々。そして毎日たっぷり寝ました。
◆大人アトピーの原因は環境要因も大きい
診察によると、原因としては、めちゃくちゃな食事と夜遅くまでの仕事だったため睡眠不足とストレスだろうとのことでした。あとは普段からのスキンケア。
要は自分自身の不摂生。。
ずっとアトピーの症状が出てなかったので、安心しきって不摂生に生きてきてしまった自分を責め、悔やみました。
アトピーとは一生のお付き合い。うまく付き合っていこう。
30歳の時に入院してからというもの「アトピーは一生付き合っていかなきゃいけない病気なんだ」と感じ、日頃からアトピーが再発しないような生活を意識して行動するようになりました。
●活性酸素を発生させないような食事
●十分な睡眠をとる
●ストレスをためない(ムリをしない)
●掃除をこまめにする
●保湿などのスキンケア
…など。
おかげで今の所、アトピー大炎上は起きてません。
でもやっぱり実践できない日もあります。
そういった日は私の場合、特に気にしません。
だってあまり気にしすぎるとストレスになっちゃうから。
「女」という性に生まれた以上、キレイでいたいし恋もしたい。
でもアトピーって見た目に出ちゃうから、自分の見た目に劣等感を感じたり病気を恨んだり、心も傷ついてる方が多いんじゃないかなって思います。
だからこそ、今後このブログでは私のアトピー経験や実践して効果のあった食事療法、「このスキンケアよかった!」などいろいろと書いていこうと思ってます。
あ、ちなみに普段私はアトピーのこと「アトピーちゃん」って"ちゃん"付けで呼んでます(笑)。一生付き合っていかなきゃいけないので、友達みたいな呼び名で。
その方が気が少し気ラクに付き合えるんです(^ ^)